アメリカ陸軍の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:38 UTC 版)
アメリカ陸軍の調査は8月13日に完了し、2008年11月の第一週に公表され、ターリバーンの攻撃にアフガン地方警察(A.L.P)部隊や郡の長官の支援があったことを明らかにした。戦いの後、警察のバラック(簡易倉庫)に大量の武器と弾薬が貯蔵され、20人の村の警官が使うには多すぎ、最近使われた痕跡がある汚れた武器も含まれていた事が証拠とされた。 報告書に対してシュロッサー将軍は「地方政府と地方警察の長官はたぶん監禁されていたのだろう、彼らはずっとアメリカ軍に協力してきた」と結論付け、郡の長官を釈放した。しかし地方警察の長官については不明である。 調査はまた陸軍が襲撃の可能性について情報を持っていたのか、部隊が情報を入手出来たのかについても調査した。その結果7月初旬に200〜300人の民兵が近くの他の監視所を攻撃するために集まっていたことが村人から多数報告されており、攻撃が差し迫っていたこと。ワナトの指揮官達は大規模な攻撃を予期できる術が無いことが分かった。しかし報告書は「考えられない位に時間がかかった」と批判もしていた。NATO軍の指揮官達は監視所の配置の交渉に10ヶ月もかけており、ターリバーンが基地攻撃の交渉や計画をする多大な余地を与えていた。
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