アメリカ独立戦争後の教会の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 14:24 UTC 版)
「バージニア州の歴史」の記事における「アメリカ独立戦争後の教会の変化」の解説
アメリカ独立戦争後、信教の自由と教会と国の分離がバージニアでも打ち立てられ、アメリカにおける聖公会はその卓越性を失った。新しい州と国の指導者および市民は教会を排斥しなかったが政府との関係でその機構のみを認めた。戦中の難しい時期や戦後もある場所ではさらに高くなった頻度で礼拝が続けられた。 政治の役割と財政的な支援を失ったものの、現在エピスコパル教会として知られる修正された形態で生き残った。 独立以前に植民地に主教はいなかった。戦後、最初のバージニア主教はジェームズ・マディソン牧師 (1749-1812)であった。マディソンは後の大統領ジェームズ・マディソンの従兄弟でありアメリカ独立戦争の直前にイギリスで叙任されていた。ウィリアム・アンド・メアリー大学の卒業生で、独立戦争の敵対意識が持ち上がったときにはそこの教師をしていたが、その教え子達を地元の民兵隊に組織化した。1777年、バージニア下院の公共施設付き牧師を務めた。同年、ロイヤリストシンパの牧師ジョン・カム(1758年から1764年のパーソンズ・コーズ裁判で最初の訴訟当事者であった)が、聖職からマディソンを排除する動きを起こし、マディソンはウィリアム・アンド・メアリー大学の第8代学長になった 。 独立戦争後、マディソンはバージニアのエピスコパル教会の再編およびエピスコパル教区の形成に顕著な役割を果たした。1785年の最初の教会集会では議長だった。1790年にはカンタベリー大主教からバージニアで最初の主教に指名された。
※この「アメリカ独立戦争後の教会の変化」の解説は、「バージニア州の歴史」の解説の一部です。
「アメリカ独立戦争後の教会の変化」を含む「バージニア州の歴史」の記事については、「バージニア州の歴史」の概要を参照ください。
- アメリカ独立戦争後の教会の変化のページへのリンク