アメリカ合衆国における受容と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:51 UTC 版)
「麻雀」の記事における「アメリカ合衆国における受容と発展」の解説
詳細は「アメリカ麻雀」を参照 1895年、アメリカ合衆国の人類学者スチュワート・キューリンは麻雀に言及した記事を書いた。これは中国語以外の言語で書かれた最初の麻雀についての記述であった。1910年までにはフランス語や日本語の文献も出揃った。1920年、アバークロンビー・アンド・フィッチ社は初めて合衆国に麻雀を輸入し販売を開始した。麻雀セットはニューヨーク市を中心にヒット商品となり、合計で12000セットを売り上げた。また、同時期にジョセフ・パーク・バブコックが世界初の麻雀本となる"Rules of Mah-Jongg"を出版した。 1920年代の合衆国で麻雀は全ての人種の間で流行しアメリカ式のルールや役が生まれ、多くの「マージャン・ナイト」が開かれた。人々は中国風の装飾が施された部屋に着飾って集まり、これに親しんだ。エディ・カンターの"Since Ma is Playing Mah Jong"など、マージャンを主題にした流行歌も幾つか生まれた。 1937年には初のルールブックとなる"Maajh: The American Version of the Ancient Chinese Game."が出版されるとともに、全米麻雀リーグ (National Mah Jongg League, NMJL) が発足した。しかし、合衆国における麻雀の流行は一過性のものに終わった。 1980年代にコンピュータ用ゲーム『上海』が登場して以来、「mahjong」「mahjongg」「mah-jang」という表現が再び一般的に使われるようになるが、それらは『上海』タイプのパズルゲームを指しており、中には麻雀牌以外の絵柄を使っているものも存在する 。
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