アメリカ占領軍の影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 02:15 UTC 版)
「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の記事における「アメリカ占領軍の影」の解説
松川事件の一審・二審では、多くの被告が有罪となり、死刑5名・無期懲役5名というかつてないほどの重刑の判決を受ける。 東京地検特捜部に報告書を持参した矢代は、伊庭次席検事に向かって、下山総裁自殺発表の中止命令がどこから出たか、また捜査本部解散の理由を訊いた。伊庭によれば、G2(米軍参謀本部第二部)からの圧力があったらしい。下山他殺捜査があんな結果になったのも、松川事件の重刑も米軍の圧力ですか、と詰め寄る矢代。 昭和26年(1951年)9月、吉田茂首相はサンフランシスコ講和条約および(旧)日米安全保障条約に調印し、ここに第二次世界大戦は終結し、日本は独立を回復した。 昭和27年(1952年)5月、血のメーデー事件で2名死亡。昭和28年(1953年)7月、板門店で朝鮮戦争の休戦協定調印。昭和29年(1954年)3月、マーシャル諸島の米水爆実験、いわゆる第五福竜丸事件で(日本では)1名死亡。日本の各地で、在日米軍の基地に対する反対闘争が盛り上がりを見せていた。
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