アメリカ史から見る反知性主義の成り立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:36 UTC 版)
「反知性主義」の記事における「アメリカ史から見る反知性主義の成り立ち」の解説
「第一次大覚醒」も参照 ホフスタッターによれば、反知性主義の萌芽は何度か起こった大覚醒(リバイバル)にある。 アメリカの初期移民であり、厳格なキリスト教観を持つ清教徒の社会では、聖書の内容を教え説く存在として司祭職も重要視されたが、同時により強固な万人祭司の考えによって一般人にも神学的な聖書理解が推奨された。当時のアメリカ(ニューイングランド)における日曜礼拝は、司祭(牧師)が説教によって大衆に高度な聖書理解を指導する場であって、それは大衆からみれば高度な聖書理解を行うための知性が要求される場であった。こうした場における説教というのは、端的に言えば退屈な事柄であり、決して聞き手を熱狂させるような要素はなかった。しかし社会(共同体)に認められるということは、教会でその信仰(回心)を認められることであって、植民地社会において回心を認められることは切実な問題の1つでもあり、決して軽視できない事柄であった。 時代が下がり、世代交代や、他文化圏の移民による爆発的な人口増が起こると、神学論に基づく高度な説教よりも、ジョージ・ホウィットフィールドに代表される伝道活動や平易な説教が盛況になる(第一次大覚醒)。ホウィットフィールドら伝道者の説教は、神学的な厳密性には乏しくとも、聴衆を「熱狂」させ、「自覚的な回心」を与えることで支持を高めた。こうした運動を大学で神学を学んだ主流派(エリート)が無学な者による扇動だと批判するのに対し、伝道者側は神の教え(真理)を理解するのに高度な知性は必要でなく、むしろ素朴な知性にも理解できるものこそが真理だと反論し、更に民衆の支持を得た。これをホフスタッターは反知性主義の始まりと説明する。 この背景に大衆に回心が認められない(社会に認められない)焦りがあったとホフスタッターは指摘する。大覚醒の嚆矢とされるジョナサン・エドワーズは、当時からして著名な宗教学者で当時の代表的な知識人でもあるが、彼の有名な説教『怒れる神の御手の中にある罪人』に代表されるように、聞き手の心情に訴えかけるという点で、それまでの知的だが退屈な説教とは一線を画した。この説教を聞いた聴衆は、回心が認められない不安感から泣き叫んだり、激しい痙攣を起こし、こうした情動をもって自覚的な回心を得ることになった。
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