アメリカ初の女性宇宙飛行士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:53 UTC 版)
「マーキュリー13」の記事における「アメリカ初の女性宇宙飛行士」の解説
「女性宇宙飛行者の一覧(英語版)」も参照 コッブとコクランはそれぞれ、その後何年にもわたって女性宇宙飛行士試験プロジェクトの再開を訴えてきた。1978年にようやく、スペースシャトルの運用プログラムの宇宙飛行士を選抜する第8宇宙飛行士グループにおいて、女性宇宙飛行士候補者が選出された。サリー・ライドは1983年のSTS-7でアメリカ人女性初の宇宙飛行士となり、アイリーン・コリンズは1995年のSTS-63で女性初のスペースシャトル操縦手となった。コリンズは、1999年のSTS-93で女性初のスペースシャトルの船長となり、2005年には、スペースシャトル飛行再開ミッションであるSTS-114でも船長を務めた。 STS-63の打ち上げには、マーキュリー13のうち当時存命だった7人をコリンズが招待した。BBCニュースは、もし女性の宇宙飛行士を規制する規則がなければ、宇宙に行った最初の女性はアメリカ人になっていたかもしれないと報じた。 コリンズは宇宙飛行士になることについて、「私が幼い頃に初めて宇宙飛行士についての本を読み始めたとき、女性の宇宙飛行士はいませんでした」と語っている。コリンズは子供の頃、マーキュリー計画の宇宙飛行士に感銘を受けた。彼女が高校生や大学生になる頃には、航空分野で活躍したい女性に多くの機会が与えられるようになっていた。コリンズは空軍に志願し、最初の1か月間の訓練中に、彼女が所属する基地を最新の宇宙飛行士クラスが訪問した。そのクラスには女性が初めて含まれていた。その時からコリンズは宇宙計画に参加したいと考えるようになった。 世界初の女性宇宙飛行士であるソ連のワレンチナ・テレシコワは、パイロットや科学者としての資格を持たなかったため、マーキュリー13よりも資格が低いと言われている。テレシコワはジェリー・コッブと対面した時、コッブが自分の目標となっていたことを伝え、「あなたが最初になるだろうと思っていました。何があったのですか?」と訊ねた。
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