アブダリ・フチャの戦い
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「サルフの戦い」の記事における「アブダリ・フチャの戦い」の解説
北路・西路の敗報を受けた楊鎬は、生き残っていた李如柏と劉綎の両軍に進撃停止を急報した。李如柏の軍はもともと慎重な進軍を続けていたためすぐに退却したが、劉綎軍はすでに敵地の奥深くに入り込んでおり、進撃停止の命令も届かなかった。 劉綎軍はシャンギャンハダの戦いがあった3月2日にヘトゥアラの南方を守る後金の守備隊を破り、順調に北進を進めていた。この情報を得たヌルハチは、サルフの方面で北路軍と戦っていた後金軍を再集結させてヘトゥアラに戻り、劉綎軍に対して次男ダイシャンが率いる主力を派遣した。3月4日、劉綎軍はヘトゥアラの南、アブダリ(Abdari)という地点でダイシャンの軍に遭遇し、ただちに陣を固めた。これに対してダイシャンはその弟ホンタイジ、そして別働隊を率いて劉綎の後方に回り込んでいたヌルハチの部将フルハンとともにて三方向から劉綎の陣を包囲、攻撃して明軍を壊滅させ、劉綎も戦死した。 アブダリの戦闘があったとき、朝鮮軍と明の劉綎軍後方部隊は兵糧不足で劉綎の主力より遅れ、アブダリの南のフチャ(Fuca)という地点に留まっていた。ダイシャンはただちにこれに対する進撃を開始し、ホンタイジを先鋒とする後金軍がフチャに迫った。朝鮮軍の姜弘立は鳥銃(日本式鉄砲)と長槍で前面に防御線を展開してこれを迎え撃ったが、大風が吹いたことによって火器の発した煙が巻き上がり、それに朝鮮軍が視界を奪われた隙をついて後金軍の騎兵が接近、突撃して前衛を突き破った。 明軍も壊滅的打撃を受け、夜に入ると朝鮮軍の中営(本隊)5000のみが孤立して残された。後金は朝鮮軍に対しては降伏を勧告し、観念した姜弘立は朝鮮軍の残兵を率いてヌルハチに投降した。李如柏ら明軍の生き残りの将校は朝鮮軍の投降を知って自殺を遂げ、これをもって東南路軍は消滅した。 明軍の敗因は、諸将が相互にいがみ合っており、互いに十分に連絡をとっていなかったことや、功を争って突出したことで後金による各個撃破を許したことが大きい。この戦い以降、李如柏のような名将や劉綎・杜松・馬林ら軍の重鎮を相次いで失った遼東の明勢力は後金に対して全く守勢となり、開原・瀋陽・遼陽が次々に後金の手に落ちることになる。
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