アスマラへの宣伝ビラ投下任務
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「サヴォイア・マルケッティ SM.75」の記事における「アスマラへの宣伝ビラ投下任務」の解説
1942年1月に「レジア・アエロノーティカ」の最高司令官(Rino Corso Fougier)将軍はローマ - 東京間の長距離飛行の計画を立て始めた。最近の南アメリカと東アフリカに於ける長距離飛行の経験を操縦士と共に検討した結果、この任務には防御武装と自動防漏燃料タンクを装備しても優れた航続性能によりSM.82やSM.83よりもSM.75の方がより適しているという結論に達した。この飛行任務にはシリアル番号:MM.60537のSM.75が選定され、長距離型のSM.75 GAの初号機に改装された。 SM.75 GAの最初の任務は、東アフリカの元イタリア占領地域、現在は英国の支配地域上空で「イタリア入植民へ。ローマは君たちのことを忘れはしない。我々は必ず戻ってくる!」と記した宣伝ビラの投下であった。機長のアメデオ・パラディシ(Amadeo Paradisi)中佐が操縦し5名の搭乗員が乗った機体はローマからリビヤのベンガジへ飛んだ。1942年5月7日 17:30にSM.75 GAはベンガジから2,700 km (1,680 ml)の第1レグへ出発した。計画通り3,000 m (9,842 ft)を飛行していたが悪天候のためパラディシは4,000 m (13,123 ft)に高度を上げた。10時間20分後、SM.75 GAはエリトリアのアスマラ上空に到達し宣伝ビラを投下した。その後、計画ではベンガジに戻る予定であったがパラディシは直接ローマに帰還することに決め、当初は高度3,500 m (11,482 ft)を飛行していたが後に燃料消費を最小に抑えるために5,200 m (17,060 ft)に高度を上げた。この任務の全行程は28時間に及んだ。 ローマで整備士が機体に幾つかの試験を実施したが、ローマに到着して2日後の1942年5月11日にSM.75GAはローマからグイドーニア・モンテチェーリオへの50 km (31 ml)の搬送飛行中に全3基のエンジンが同時に故障した。パラディシの緊急着陸により機体は破壊され、パラディシ自身は脚を失ったがその他の搭乗員は負傷しなかった。
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