やぐらの年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
鎌倉石は砂岩であるので脆く風化しやすい。内部の五輪塔などには当初は紀年銘があったであろうが、ほとんどは風化して判らなくなっている。鎌倉のやぐらから出土したという宝治二年(1248年)銘の籾塔形式宝篋印塔(個人蔵)もあるが購入時にそう聞いたという範囲の話で検証できるものではない。実際にやぐらで確認された紀年銘の最も古いものは朝比奈峠下やぐら内の板碑にあった文永年間つまり1270年前後のものである。 年代を示すもので多いのは鎌倉時代後期、1300年代に入ってのものである。浄光明寺のやぐらにある石造地蔵菩薩坐像(通称「網引地蔵」)には正和2年(1313年)の銘があり、多宝寺のやぐらにも嘉暦2年(1327年)の年号と僧名が残る。これらは鎌倉の人口が最大となった時期にも該当するが、もう一つの理由は職人層を実質支配していた忍性ら律宗教団が奈良・京都から石工を連れてきて、伊豆から運んだ安山岩などの堅い石で石仏や五輪塔などを作り始めたことにもよる。また、納められている五輪塔などの様式からほとんどは鎌倉時代、一部は室町時代と判明する。
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