やあ、兄弟達よ、我らに会わないか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 14:31 UTC 版)
「リパブリック讃歌」の記事における「やあ、兄弟達よ、我らに会わないか」の解説
元々のメロディはウィリアム・ステッフによって1856年に作曲された賛美歌「やあ、兄弟達よ、我らに会わないか(英語: Say, brothers, will you meet us)」だったと言われている。ただし、この曲とステッフとの関連性については自身が生前に作曲者として名乗り出なかった点、他の音楽制作に関わらなかった点、ステッフ本人の書き残した手紙以外に物的証拠が存在しない点などから関与を疑問視されている。 ステッフによる作曲という説は1880年代に登場したものであり、英文学者のブランダー・マシューズ(英語版)が1887年に『センチュリー・マガジン(英語版)』誌で紹介したことを契機に広まった。マシューズによると1856年にサウスカロライナ州チャールトンにある消防団から「困ったことがあれば、我らに会わないか(英語: Say, bummers, will you meet us)」という歌詞に合う曲作りを依頼され、その曲に新たに歌詞が付け加えられるなどして後に讃美歌「やあ、兄弟達よ、我らに会わないか」へと変化したとしている。一方、ジャーナリストのボイド・スタドラーの調査では、1855年または1856年頃にフィラデルフィアのグッドウィル消防隊からバルティモアのリバティ消防隊を歓迎するための歌の作成を依頼され「困ったことがあれば、我らに会わないか」に曲をつけた、とステッフ自身が発言したという。 原詩日本語訳Say, brothers, will you meet us (×3) On Canaan's happy shore. (Chorus) Glory, glory, hallelujah (×3) For ever, evermore! やあ、兄弟たちよ、私たちと会わないか(×3) カナンの幸福の岸辺で (コーラス) 栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ(×3) 永遠に、永久に! 一部の研究者はステッフが作曲する以前に黒人の伝統音楽にルーツを持つとする説を支持している 。このほかジョージア州に住むアフリカ系アメリカ人の婚礼の際に歌われていたとする説、またはスウェーデンの酒宴の歌として生まれたものがイギリスに伝播し船乗りの労働歌として定着したとする説がある。ルーツを特定することは困難であるが様々な文化と民族から影響がもたらされたことは確かで、当時の音楽制作における復興運動の影響もあり自由な作曲が成された 。 歌詞については1858年に出版された『ユニオン・ハープとリヴァイヴァル聖歌隊員』という讃美歌集が内容を確認することが可能な初出文献とされる。
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