どこまで自然の権利は認められるか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/21 00:29 UTC 版)
「自然の生存権」の記事における「どこまで自然の権利は認められるか?」の解説
環境保護という考え方からは離れるが、一般的な倫理や道徳として、身近な動物への残虐な扱いが広くタブー視されているように、「動物の生存権」はある程度受け入れられている。また、生態学的観点から、絶滅の危機にある動物などを保護すべきという考えもあるが、これも広く受け入れられている。 これを身近でない動物や植物などの生物にまで拡大すると、食用など人間が必要とする範囲外で生物を保護すべきという、一般的な動物保護の考え方に行き着く。 そして、これを生態系全体に拡大すると、生物相互のバランスを保護する考え方になる。ここまでは、ある程度広く受け入れられていると考えられる。 さらに、生態系に加えて地形や景観などの固有の自然をその対象に加えると、ここで言う「自然の生存権」になる。この時点で、地形や景観などは生物とは異なり生命を持たないので、その議論が生まれる。 ここで地形や景観に生存権を認めるにあたって、いくつかの考え方が出てきた。人間にとって有用かどうか・害益があるかどうかということではなく、地形や景観自身が内在的価値を持つからという理由が主張された。一方で、現実を重視し、人間にとっての価値や人間との関わりから道具的価値を持つからという理由も主張された。両者は現在も意見の分かれるところであり、どちらかを根拠として用いるのは難しい。そこで、必要以上に自然を開発しない程度の保全、希少生物の保全、あるいは人間への悪影響を防ぐための保全などに限定して、自然の権利を認める考え方が受け入れられるようになった。 しかし、人間と自然(環境)の利害が衝突するところでは、この権利の認められる範囲が揺らぐことも多い。また、これ以上に権利を拡大しようとする考えもあるが、人間の活動への制約が大きくなることなどから、異論が大きくなってくる。
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