さが‐てんのう〔‐テンワウ〕【嵯峨天皇】
嵯峨天皇
母は藤原乙牟漏。
皇后に橘嘉智子をたて809年に即位する。
即位後に譲位したはずの平城上皇が藤原薬子や藤原仲成らと語り政権を奪回しょうとした(「薬子の変」という)ため、坂上田村麻呂らを派遣してこれを制圧した。
これにより上皇は出家し、薬子は自害、仲成は殺害された。
以後朝廷は30年もの間安定し平安文化が開花した。
「蔵人所」・「検非違使」などを設置し、また、「弘仁格式(「弘仁格・弘仁式」をいう)」、「新撰姓氏録」を編纂させる。
書にすぐれ三筆の一人とされている。
第52代天皇 | |
天皇名 | 嵯峨天皇 |
読み方 | さがてんのう |
名・諱等 | 神野親王 |
読み方 | かみのしんのう |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 809年から823年 |
生年 | 786 |
没年 | 842 |
父 | 桓武天皇 |
母 | 藤原乙牟漏 |
兄弟 | 安殿親王(平城天皇) |
配偶者 | 橘嘉智子 |
皇子女 | 正良親王・正子内親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 嵯峨山上陵 |
所在地 | 京都市右京区北嵯峨朝原山町 |
嵯峨天皇 嵯峨山上陵
(さがてんのう さがのやまのえのみささぎ)
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