お笑いとアイドル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 00:33 UTC 版)
「WEST SIDE」の記事における「お笑いとアイドル」の解説
当時のグループ内でも、ランディーズ高井のように積極的なメンバーがいた中で、キングコングのような乗り気ではなかったメンバーがいたのも事実であった。梶原に関しては、グループ内では断トツのダンススキルにも関わらず、このグループの活動に対して積極的ではなかった。メンバー達は、baseよしもとやほとんどの関西ローカルに出演し、しかも漫才やコント、トークの実力も十分にあったが、ここで活動中の時はファンから芸人ではなくジャニーズ同様アイドル目線で見られており、当時の梶原は「ファン(当時)は今まで(WEST SIDE加入前)は真剣に漫才を聴いていたのにもかかわらず、WEST SIDE加入後、俺らが漫才をする為にステージに立った瞬間、キャーキャーと声援をし、(梶原は)一旦は注意するが、漫才を開始しても一向に声援を止めないので『うるさい!』と注意し、静かになってから漫才を始めていた」と証言している。つまり、この当時のキングコングのファンは、「漫才・コントが面白いから劇場に行く」のではなく、「かっこいいWEST SIDEのメンバーであるキングコングを見る為に行く」という客が大半を占めていた。 また、デビューした2001年には、ちょうどM-1グランプリが始まり、ストイックなまでに漫才の完成度を高める芸人が評価される傾向が強くなり、舞台に上がったと同時にブーイングを受けることも珍しくなかった。その傾向は当時ほどではないとはいえ、現在も変わっていない。 周囲の先輩芸人や後輩芸人も、あまりWEST SIDEの活動を良く思っていなかった。オフィス北野所属(当時)の東京ダイナマイトは「もし麒麟や千鳥、笑い飯がいなければ(アイドル化する一方の)大阪の笑いは終わっていた。」と語っており、東京でも決して好意的には受け止められていなかった。逆に、同じbaseよしもとのメンバーだったフットボールアワーやブラックマヨネーズは「羨ましかった」と言っている。 しかし時間が経つにつれ、キングコングの2人は、大阪の冠ラジオ番組にて、「今やったらもう1回してもいい」とWEST SIDE復活を示唆するような発言をした事がある。特に、WEST SIDEを嫌がっていた西野は、「やってもいい(やりたい)」と積極的になり、梶原も「今やったらキャーキャー言われたい」と発言しており、両者ともキャーキャー言われるのが芸人人気が分かる一つの手段だった、と話している。また、梶原は自身のYoutubeのサブチャンネル及びTOKYO SPEAKEASYで、W-inds.の橘慶太とラジオをした際「はねるのトびらで死ぬ気で東京でコントを頑張らなあかんのに、なんで踊って歌ってやらなあかんねん。という気持ちだった。」と話している。
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