宇治川太閤堤跡
| 名称: | 宇治川太閤堤跡 | 
| ふりがな: | うじがわたいこうづづみあと | 
| 種別: | 史跡 | 
| 種別2: | |
| 都道府県: | 京都府 | 
| 市区町村: | 宇治市莵道丸山・宇治乙方・槇島町大島 | 
| 管理団体: | 宇治市 | 
| 指定年月日: | 2009.07.23(平成21.07.23) | 
| 指定基準: | 史6 | 
| 特別指定年月日: | |
| 追加指定年月日: | |
| 解説文: | 宇治川太閤堤跡は、京都盆地東部に流れ出る宇治川の右岸に、豊臣秀吉によって築造された堤跡である。豊臣秀吉は、文禄3年(1594)に完成した伏見城築城を契機として、宇治川・淀川等の付け替えなど大規模な治水工事を行った。宇治川はそれまで宇治橋下流から分流して北西方に流れて巨椋(おぐら)池(いけ)に合流していたが、北方に流れる流路にまとめられ、伏見城下に導かれた。検出された堤の遺構には、護岸と水流を調節する水制がある。護岸は直線的に約400m続くと考えられる。護岸は本来の地形を反映し、工法を変えて造られている。水制には石出しと杭出しがある。石出しはほぼ90m間隔で3ヶ所確認している。平面は台形状を呈し、川側の前面は緩やかな曲線を描く。側面は石垣を積み、石垣内部は割石を充填し、城郭の石垣を思わすような威容を呈する。 このように、宇治川太閤堤跡は、16世紀末に築造されたのち氾濫のため埋没し、近代に新たに現堤防が築かれたため河川範囲から外れて極めて良好な状況に保存された。そのため、豊臣秀吉が行った伏見城築城を契機とした淀川水系の治水・交通に関する施策と土木技術を具体的に示す遺跡として極めて重要である。 | 
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