『鶴』の作曲家ヤン・フレンケリとの出会いとは? わかりやすく解説

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『鶴』(Журавли)の作曲家ヤン・フレンケリ(Ян Френкель)との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:25 UTC 版)

ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)」の記事における「『』(Журавли)の作曲家ヤン・フレンケリ(Ян Френкель)との出会い」の解説

モスクワ中央文化人会館は、ロイヤルナイツこの街訪れるたびに招かれ地元芸術家たちとの交流重ねて来た場所である。1972年5回目ソ連演奏旅行では、5月23日ソチから空路モスクワ到着したその晩、早速ここでソ連文化人のためのスペシャル・コンサート開かれた第一部地元芸術家たちによる歌や踊り楽器演奏パントマイムなどの披露第二部ロイヤルナイツステージである。 ロイヤルナイツ演奏がすべて終わり、まだ感動余韻醒めやらぬ中、一人大柄な紳士舞台上って来た。少し猫背で、口元には髭をたくわえている。 「自分の曲を外国人これほど素晴らしく歌ってくれたのは初めてだ。ありがとう、...ありがとう、...ありがとう、......」 この紳士こそが、ソ連ポピュラー音楽界で最も有名な作曲家一人、ヤン・フレンケリであった今回公演で、ロイヤルナイツ彼の作品ロシア草原』(Русское поле) をプログラム組んでいたのであるロイヤルナイツも、早くから彼の八月』(Август)をレパートリー加えるなどしており、これだけ美し旋律書け作曲家に是非会ってみたい、とかねてから思っていただけに、この初めての出会い瞬間は天にも昇るほど感動的であったコンサート後のパーティー会場には、『カチューシャ』の作曲家ブランテルや、『モスクワ郊外の夕べ』の作曲家ソロヴィヨフ=セドイらもいた。現地の有名歌手たちがお返し歌ってくれたりして、賑やかなパーティー一段落したところで、フレンケリがピアノ向かい幾つかの自作の曲の弾き語り始めたロイヤルナイツ一行初めて耳にする歌も少なくなかったが、中でもとりわけ印象の強い、その場一同別世界の力に打たれたようにうっとり聴き入っている曲が一つあった。それを歌い終えるとフレンケリは、 「あなた方の『ロシア草原』(Русское поле)は素晴らしかった。だから、この曲は、是非あなた方プレゼントしたい」 と、直筆譜面上着ポケットから出しロイヤルナイツ手渡した。 これが、名曲』(Журавли)とロイヤルナイツとの出会いである。が、この時の譜面書き上げられたばかりで、まだ歌詞さえも記入されてはいなかった。 爾来ロイヤルナイツは、この曲を40年以上に亘り歌い続ける。

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