『汐汲』と「男舞」
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松風・村雨伝説をもとにしたというこの『汐汲』には、不思議なところがある。それは松風の格好についてである。 松風が登場したとき、頭には烏帽子を被り、身には狩衣(長絹)を着ているが、その下の扮装はというと、髪は花櫛のついた島田髷、それに縫いのある赤地の振袖に黒の帯を振り下げに結ぶというどこかのお姫様のような格好で、いかに芝居の事とはいえ海女の姿には見えない。しかしこれは、この『汐汲』に「男舞」(おとこまい)の趣向を取り入れているからである。 男舞とは、本来は烏帽子水干を着て舞う白拍子の舞のことである。この白拍子の舞はのちに歌舞伎にも所作事として取り入れられたが、これは烏帽子に水干という姿だけを取り入れて、男舞と称した。それは実際にはこの『汐汲』のように振袖の娘姿で、その上に烏帽子を被り長絹などの広袖の装束を着て扇を持ち舞うというものであった。つまりこの『汐汲』は松風村雨を題材にしてはいるものの、行平の形見の烏帽子・狩衣に事寄せて男舞の趣向を見せるという踊りなのである。『汐汲』の内容をまとめると、 男舞(烏帽子狩衣〈長絹〉に振袖の娘姿、中啓の舞) 松風村雨の伝説(汐を汲む所作、クドキ) 三蓋傘の所作 ということになり、じつは男舞を舞う中で松風村雨の話を踊ってみせ、さらに三蓋傘の所作を男舞や松風村雨とは関わりない景物として見せるというものになっている。これはのちに三代目三津五郎が演じた七変化舞踊『月雪花名残文台』(つきゆきはななごりのぶんだい)のなかに、小鼓を持って舟に乗るという白拍子の所作事(『浅妻船』)があるが、これも烏帽子長絹の下は『汐汲』と同様の姿となっており、歌舞伎舞踊における男舞の趣向を残しているといえる。 なお『汐汲』初演の時は、関羽の霊が女三の宮・梶原源太・汐汲・猿廻し・願人坊主・老女にそれぞれ化けて現れるという設定であった。関羽の霊が男舞の女姿に化け、それがさらに松風村雨の所作を見せるという、複雑な趣向だったのがわかる。現在そういった設定は伝わっていないが、三代目三津五郎が再演した時には筑波山の狐がこの『汐汲』を含む五変化を踊って見せるという設定があり、それが今でも花道のすっぽんから現れる演出や振付けに残されている。
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