『仮名手本忠臣蔵』以後
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『仮名手本忠臣蔵』以外にも赤穂事件を題材にした演目は作られ続け、『歌舞伎年表』に載っているものだけでも85個もある。 その中でも特に有名なのは人形浄瑠璃の『太平記忠臣講釈』(明和3年竹本座初演、近松半次ら6人の合作)で、本作は『仮名手本忠臣蔵』に次ぐ名作と名高く、それまでの義士劇の集大成的な面があるが、その分独創性は少ない。本作は『歌舞伎年表』に載っているだけでも前者は56回、後者は13回も上演されており、特に8段目は近代まで上演されていた。 歌舞伎の『義臣伝読切講釈』も『歌舞伎年表』に載っているだけでも13回上演されており、本作には今日も上演される『忠臣連理廼鉢植』の段がある。 寛政期の大坂で上演された奈河七五三助作の『いろは仮名四十七訓』は『泰平いろは行列』と『大矢数四十七本』を合わせて作り直したものと言われ、6幕目が能狂言の『鎌腹』の換骨奪胎である「弥作の鎌腹」であり、今日も上演される。また8幕目は今日でいう「鳩の平右衛門」で、寺岡平右衛門が仇討に行く最中、逢坂山で鳩の親子の愛情を見て、引き返して母親に討ち入りの話を明かし、母親が寺岡を激励するため自害する。8幕目はのちに書き換えられて『稽古筆七いろは』になり、今日では前述のように『鳩の平右衛門』という演題で上演される。3幕目も明治時代まで上演されていた。 文政8年に初演された四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は、『仮名手本忠臣蔵』と同時上演され、『仮名手本』の裏で起こっている事件として描かれている。同じく鶴屋南北は他にも、四十七士の不破数右衛門が猟奇殺人鬼として登場する一種のパロディ作品『盟三五大切』や、『仮名手本』の悪役の斧定九郎を主人公とし、定九郎とその父の九郎兵衛が実は忠臣であったとする奇作『菊宴月白浪』を書いている。 天保年間に上演された『裏表忠臣蔵』には、蜂の巣の乱れで大事を知って寺岡平右衛門が江戸へと急ぐ「蜂の平右衛門」が含まれている。またこの演目が天保4年3月に河原崎座で上演された際には、三升屋二三治が市川海老蔵(後の7代目団十郎)と3代目の尾上菊五郎のために清元の「道行旅路之花聟」が書き下ろされており、これが現在では歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に取り込まれている。 安政期に書かれた『新舞台いろは書初』には現在でいう「松浦の太鼓」が含まれている。また黙阿弥の『仮名手本硯高島』には「徳利の別れ」が含まれており、『忠臣後日建前』はいわゆる「女定九郎」の物語であり、鶴屋南北の草双紙を題材に黙阿弥が仕上げたものである。
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