『仮名手本忠臣蔵』の十段目
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「忠臣蔵」の記事における「『仮名手本忠臣蔵』の十段目」の解説
寛延元年(1748年)8月には人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の十段目としてこの物語は描かれている。当時は実在の人物を芝居にするのに規制があったため、作中では「天河屋義平」という名前で登場する。 本作では捕り手達が天河屋の息子を人質に取り、息子の喉元に刀を置いて天河屋を脅迫する。 しかし天河屋は 「天河屋の義平は男でござるぞ。子にほだされ存ぜぬ事を、存じたとは得申さゆ」といい、これを突っぱねる。 この話のオチは、実は捕り手は大星由良助(史実の大石内蔵助)率いる四十七士がなりすましたもので、天河屋を試すためにこの様なことをしたのだという。大星は天河屋の忠義に礼をし、討ち入りの際の合い言葉を天河屋にちなんで「天」、「河」にするのだった。
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