『ヨブ記』に関する批判的な意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:18 UTC 版)
「ヨブ記」の記事における「『ヨブ記』に関する批判的な意見」の解説
神とサタンの対話、ヨブの試練に関する両者の合意、及びヨブが自らの苦難に対する報いを受け入れる大団円の場面は、いわゆる枠小説の枠に該当すると見なされているのだが、そもそもはこの枠の部分が単独の物語として存在し、それが伝承される過程で詩文学の章句が組み込まれたとする説がある。また、この枠の部分は偶像崇拝のモチーフが混在しており、実際、ヒンドゥー教の神話との類似性が認められてもいる。 『ヨブ記』には旧約聖書の他の書物には見られないがために語義を正しく確定できない単語が多すぎる、という点が指摘されている。また、ヨブ記の難解な点を説明する偏った見解として、同書がアラム語から翻訳されたとするものがあり(この説はすでにアブラハム・ベン・エズラによって提示されている)、さらには多くの章句が様々な言語によって解釈できるとしている。例えば30章24節の前半は以下のようになる。 原文:אַךְ לֹא בְעִי יִשְׁלַח יָד(しかし、瀕死の者に手を差し伸べない)→アラム語:𐡀𐡊𐡋𐡀 𐡁𐡏𐡉, 𐡉𐡔𐡋𐡇 𐡉𐡃 (食料を求めて手を伸ばす) ヨブと友人たちそれぞれの見解に見られる矛盾点については、『ヨブ記』のテキストは物語の連続性よりも主題の論理性を優先して再構成されていると一部の研究者によって説明されている。
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