『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』
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「マリー・ド・メディシスの生涯」の記事における「『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』」の解説
『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』には、1600年10月5日にフィレンツェの大聖堂で挙行された、フィレンツェ大公女マリーとフランス王アンリ4世の代理結婚式 (en:Proxy marriage) の情景が描かれている。結婚式を主催したのは枢機卿ピエトロ・アルドブランディーニだった。当時の王族の結婚式によく見られたように、マリーの叔父にあたるトスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチが代理として花婿の位置に立ち、マリーに指輪をはめている。周囲に描かれている人々は、ルーベンス本人を始めとして特定されている。実際にこの代理結婚式が挙行されたのは、ルーベンスがこの作品を描く12年前のことで、当時のルーベンスはゴンザーガ公家に仕えており、イタリアに滞在中だった。若きルーベンスは花嫁の背後に立ち、十字架を手にしながら鑑賞者の方を向いている。ルーベンスが他者を主題とした作品に、自身をこれほど目立つように描くことは極めてまれなことだった。ルーベンス以外の参列者として、トスカーナ大公妃クリスティーナとマリーの姉マントヴァ公妃エレオノーラ、そしてトスカーナ大公の側近であるロジェ・ド・ベルガルド、二人の結婚をまとめ上げたシルリー侯爵らが描かれている。『マリー・ド・メディシスの生涯』の他の作品と同様に『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』にも神話の題材が描かれている。バラの花冠を被った古代の結婚の神ヒュメナイオスが、右手でマリーのトレーン(引き裾)を支持し、左手には結婚式の燭台を掲げている。画面上部に描かれているのは、父なる神がキリストの遺骸を掻き抱いているピエタを連想させる大理石彫刻で、バルトロメオ・バンディネッリ(1493年 - 1560年)の作品である。
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