『ポピュラーエレクトロニクス』誌と『ラジオ=エレクトロニクス』誌
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「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の記事における「『ポピュラーエレクトロニクス』誌と『ラジオ=エレクトロニクス』誌」の解説
1972年1月、『ポピュラーエレクトロニクス』誌は、より多くの広告収入を得ようと、編集の方針を変更した。ステレオ機器や市民バンド無線のレビューを増やし、実験や構築に関する記事はなくなった。ダン・メイヤー、ドン・ランカスター、フォレスト・ミムズ、ジョン・サイモントン(英語版)ら多くの作家たちは、すぐに競合する『ラジオ=エレクトロニクス』誌への寄稿を始めた。1972年6月号の表紙記事は、ミムズによる「32ドルのソリッドステートレーザーを使った実験」だった。その号のもう一つの記事は「オペアンプの実験」で、執筆者は「B・R・ローゲン」だったが、これは『ポピュラーエレクトロニクス』誌の技術編集者、レス・ソロモンの偽名だった。ソロモンは、『ポピュラーエレクトロニクス』に勤めていながら、『ラジオ=エレクトロニクス』に寄稿していたのだった。長い間ソリッドステートの編集者であったルー・ガードナーは、1年間『ラジオ=エレクトロニクス』誌に移った。ITC 1800集積回路テスタ(1972年5月)、Model 1700ファンクションジェネレータ(1973年7月)、Model 1440電卓(1973年7月)、88 VLCTコンピュータターミナル(1974年11月)などのMITS社のキットは、『ラジオ=エレクトロニクス』誌で特集された。 『ラジオ=エレクトロニクス』誌は『ポピュラーエレクトロニクス』誌よりも発行部数は少なかったが、1972年から1975年の間に革新的な構築プロジェクトで業界をリードした。1973年5月号の表紙に、ジョン・サイモントンによる初のモジュラー式電子音楽シンセサイザーが掲載された。このシンセサイザーは市販のシンセサイザーの数分の1の価格で販売され、彼が経営するPAiAエレクトロニクス(英語版)が数十年にわたって生産した。1973年9月のドン・ランカスターのTVタイプライターと1974年7月のジョン・タイタスのMark-8コンピュータは、ホームコンピュータ革命の起爆剤となった。 1974年に『ポピュラーエレクトロニクス』の編集者となったアート・サルスバーグは、同種の雑誌における主導権を取り戻すことを目標とした。彼はMark-8よりも機能的でエレガントなコンピュータを雑誌で取り上げたいと考えていた。レス・ソロモンは、MITS社がIntel 8080ベースのコンピュータキットの製作に取り組んでいることを知っており、他の月よりも発行部数の増える1月号でロバーツのコンピュータを特集することを考えていた。 エド・ロバーツとビル・イェーツは1974年10月に最初の試作機を完成させ、表紙写真の撮影のためにニューヨークのポピュラー・エレクトロニクス社へ、運送会社のレイルウェイ・エクスプレス・エージェンシー(英語版)を使って出荷した。しかし、運送会社のストライキで試作機は紛失した。ソロモンはすでにこの機械の写真を何枚も持っていたため、記事はそれに基づいて執筆した。ロバーツは代替機の製作に取り掛かった。雑誌の表紙に掲載されたコンピュータは、実際にはフロントパネルにスイッチやLEDをそれっぽく取り付けただけの空の箱だった。完成したAltairコンピュータは、雑誌に掲載された試作機とは全く異なる回路基板レイアウトを持っていた。
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