『プリンセスシシー』とは? わかりやすく解説

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『プリンセス・シシー』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:27 UTC 版)

ロミー・シュナイダー」の記事における「『プリンセス・シシー』」の解説

1953年14歳寄宿学校卒業ほどなく母マグダ・シュナイダーの主演映画再び白いライラックが咲いたら』に出演する話がもち上がり、カメラテストに合格マグダ娘役ドイツ映画界にデビュー。このデビュー作のみ、ロミー・アルバッハ=シュナイダーの名を使っている。(以下、「ドイツ」は当時西ドイツ、「ベルリン」は西ベルリンのこと) 順調に役がつき、3作目の『女王さまはお若い』で主役ヴィクトリア女王役に抜擢される。翌1954年、同じエルンスト・マリシュカ監督オーストリア皇后エリーザベト演じたオーストリア映画『プリンセス・シシー』が大ヒット。全ヨーロッパで2500万人動員しロミー16歳にして一躍ヨーロッパ映画界のトップスターとなる。しかし、固定化された(ロミー曰く)「お粥みたいにくっついて離れない」“ロミー・シュナイダーシシー”のイメージ生涯にわたってロミー苦しめることになる。 これ以降ロミードイツオーストリアで出演作の役は大衆向け娯楽作の甘い無害な歴史ロマンスヒロイン清純乙女といったものばかりになり、女優として成長を望むロミーはしだい苛立ち感じるようになる。しかしステージママ化したマグダ継父実業家ハンス・ヘルベルト・ブラッツハイム (Hans Herbert Blatzheim) (莫大なロミーギャラ自身事業投資していたが後に破産)は1956年若き皇后シシー』、1957年ある皇后の運命の歳月』とロミーシシー続編出演させた。後に「『シシー』の出演決まった聞かされたとき、目の前真っ暗になった」とまでロミー語っているが、嫌々演じたというのに、この2作も大ヒットしてしまう。 母と継父は『シシー』への出演ロミー強要しようとしたが、20歳ロミー目の前にギャラとして100万マルク現在の6億円くらい)を積まれても首を縦には振らなかった。 「私はシシーなんかじゃない分かっていたのは私だけ。役として演じはしたけど、私は夢のようなお姫さまとは似ても似つかない人間だった」

※この「『プリンセス・シシー』」の解説は、「ロミー・シュナイダー」の解説の一部です。
「『プリンセス・シシー』」を含む「ロミー・シュナイダー」の記事については、「ロミー・シュナイダー」の概要を参照ください。

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