『シベール』創刊
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「シベール (同人誌)」の記事における「『シベール』創刊」の解説
『シベール』創刊号は1979年4月8日に開催されたコミックマーケット11で頒布された。何も印刷されていない黒色のラシャ紙の表紙のB5判26ページのコピー誌で、執筆者は吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建および蛭児神の紹介で加わった仁科蒼一の4名である。隣り合うスペースでは蛭児神による『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』も頒布された。 吾妻と沖はコミックマーケット11の実質的な主催者であった「迷宮'79」の米沢嘉博(のちにコミックマーケット準備会2代目代表)と事前に打ち合わせを行っており、吾妻は「無理言ってコミケに潜り込ませてもらいました」と後年述懐している。また蛭児神によれば両誌は袋に入れて糊付けし、とじ目に赤くマル秘の印を押して売っていたとのことで「世間の冷たい視線の痛さが何故か快感で、マゾヒスティックな喜びに震えていた。売り手と買い手の共犯意識による友情に私の体は火照っていた」と当時の心境を振り返っている。 実際、当時はメジャー少年誌・少女誌で活動しているプロの現役漫画家が、成人向け同人誌に作品を執筆するということはタブーに等しかった。吾妻ファンでヒルダコンの少女漫画家・和田慎二を『シベール』に同人として勧誘する案もあったものの「それはやっぱしアカンじゃないかい」という吾妻の一声で取りやめになったという。これについて蛭児神は「やはり吾妻先生としては、メジャー作家を巻き込むのは不味いと思われたのだろう」と語っている。 2号目からは孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさくが参加する(沖がまんが画廊の「らくがき帳」を通じて孤ノ間に接触し、計奈は孤ノ間の弟子をしていた)。計奈によれば「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と立ち読みで騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、中の一人が後でこっそり買いに戻ってくることもあったと回想している。 こうしたエロ本を買う時にありがちな気恥ずかしい状況が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという。
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