『エイトボール』、1989年 – 2004年
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「ダニエル・クロウズ」の記事における「『エイトボール』、1989年 – 2004年」の解説
1989年、ファンタグラフィックスからクロウズの個人コミックブックシリーズ『エイトボール』が発刊された。クロウズが創刊号の扉ページに書いた紹介文は「悪意と復讐心、閉塞感、絶望と性倒錯の狂宴」であった。初期の発行部数は3000部だったという。シリーズは2004年に全23号で終了したが、米国のオルタナティブコミック界で最も称賛を集めたタイトルの一つであり、20回以上賞を受けたほか、連載された長篇はすべてグラフィックノベルとして刊行されている。 第1~18号は短編を主体とした構成で、そのジャンルはコミカルな独白やフロイド的分析からおとぎ話や文化批評まで幅広い。またこれらの号には長編の一部が掲載され、完結とともにグラフィックノベルとして刊行された。『鉄で造ったベルベットの手袋のように』(1993年)、Pussey!(1995年)、『ゴーストワールド』(1997年)の三編である。第19号からは形式が一新された。大判白黒印刷で刊行された第19~21号は長篇 David Boring を1幕ずつ分載したものだった。同作は2000年にグラフィックノベルとして刊行された。再び形式が変更された第22号は『エイトボール』初のフルカラー印刷で、グラフィックノベルの長さの単発作品 Ice Haven が掲載された。最終号となった第23号でもフルカラーの単発作品「ザ・デス・レイ(英語版)」が掲載された。 1990年代初頭にシアトルのレコードレーベルサブ・ポップと関係を持ち、ジー・ヘッドコーツやスーパーサッカーズなどのバンドや、『ジョン・ピール・セッションズ (The John Peel Sessions)』や The Sub Pop Video Program のようなコンピレーションのアートワークを手掛けた。クロウズがデザインしたマスコットキャラクターのパンキー (Punky) はTシャツやパドルボール(英語版)、時計などの商品にプリントされた。1994年にはラモーンズのミュージック・ビデオ「大人なんかになるものか (I Don't Want to Grow Up)」にイラストレーションを提供した。
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