『アジアの孤児』
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この作品は、第二次世界大戦など半世紀にわたる台湾史が描かれている。呉濁流が青年時代に15年間過ごした西湖の雲梯書院が小説の始まりとなっている。日本の植民地支配下にあった台湾の知識青年、「胡太明」を主人公として書かれた「孤児意識」をテーマにした作品である。当初『胡志明』、『孤帆』などの名称で出版されていたが、後1956年に『アジアの孤児』と改題され、主人公の名前も戦後の冷戦の関係により「胡志明」(「ホー・チ・ミンを連想させる)から「胡太明」に改められた。戦争中の1943~45年にかけて執筆されており、彼自身の体験してきた台湾史や「日本統治下」に対する政府批判、そしてその中で感じた「中国人にもなれず、日本人にもなれない台湾人」の葛藤、アイデンティティの矛盾が書かれている。それ故に自分自身が何者であるのか悩み、最後は主人公が発狂したところで作品は幕を閉じる。植民地下の時代に苦しむ「台湾人」を描くことで植民地体制の本質を浮き彫りにし、その残虐な行為の一部分を読者に伝え、作品として残そうとしたのである。こうした内容であるため、日本人に見つからないよう密かに執筆し、原稿は故郷の家屋に隠していた。1945年に脱稿を迎えた後、彼にとっては出世作として広く知れ渡るようになった。なお、『アジアの孤児』というタイトルは、時代に翻弄された当時の台湾人をアジアの中で「帰属する対象を持たない孤児」、として表現したものとされている。呉濁流の没後、友人梁景峰は、彼を記念する詩を書き、若手歌手李双澤により曲がつけられ歌にもなった。同曲は2002年の冬、「交工楽隊」と呼ばれる台湾人バンドにより、「アジアの孤児」というタイトルでカバーされ、「台北客家人文脚踪活動2002」のライブ会場で披露された。
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