「郵頼」と消印
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 22:58 UTC 版)
「太田三郎 (芸術家)」の記事における「「郵頼」と消印」の解説
太田の切手と消印を素材とする作品には、太田が郵便局で押印してもらう方法のほか、郵便の「郵頼」制度を利用し、希望日の押印を郵便局に依頼して返送された押印切手による作品がある。『Stamp-Map of Japan and Korea』(1990)、『奥の細道1997』(1997)、『鉄腕アトム』(2003)などである。 『Stamp-Map of Japan and Korea』は「1990年8月6日午前」の消印を各地の郵便局に依頼して集め、押された切手が郵便局の所在の位置関係に配置され、日本列島と韓国を地図状に形づくるインスタレーション作品である。この日付は広島に原爆が投下されてから45年後にあたる。その意味でこの作品は後述する〈Post War〉のシリーズと見なすことも可能である。45年後の郵便局の存在が、逆に45年前の不在(消滅した広島の町、人、そしてその営み)を浮かびあがらせる。 『鉄腕アトム』は、アトムの誕生日2003年4月7日の消印が押印されたアトムの記念切手によって、アトムの頭部および全身像が形づくられる作品である。遠い未来だと思われた21世紀が現実のものとなった現在、過ぎ去った未来を考えさせる作品である。 『奥の細道1997』は、約300年前に松尾芭蕉が『奥の細道』で辿った旅程を、1997年の郵便の消印で構成した作品である。芭蕉が辿ったルートにあたる各地の郵便局に依頼して、彼が滞在した日の消印を切手に押印・返送してもらい、それらを地図上の位置関係に配列している。当初壁面へのインスタレーション作品として発表されたが、山形美術館が所蔵する与謝蕪村『奥の細道図屏風』(1779年 紙本・墨画淡彩 六曲屏風 (山)長谷川コレクション)と同一サイズの屏風形式の作品が制作された。太田が「旅の追体験」と述べるように、「消印」は存在証明としての意味に加え、もう一つの郵便の特質である空間と時間の移動を示唆している。
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