「証明は死んだ」と『科学の終焉』
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「ジョン・ホーガン」の記事における「「証明は死んだ」と『科学の終焉』」の解説
1993年10月のサイエンティフィック・アメリカンの記事「証明は死んだ」(The Death of Proof)にて、ホーガンは数学における証明について語った。コンピューターを用いた証明の発展などに代表されるような、現代の数学における証明の複雑さの増加は、数学における古典的な証明の概念を崩壊させつつある、と述べた。ホーガンのこの考えは、数学者デイビッド・ホフマン(David Hoffman)の表現を借りれば数学者たちからの「怒号と批判の洪水(torrents of howls and complaints)」を浴びた。 1996年の著書『科学の終焉』(The End of Science)は、記事「証明は死んだ」の続きである。『科学の終焉』の中でホーガンは純粋科学(pure science)を「宇宙とその中での私達の位置を理解しようとする人間の原始的な探検」と定義し、その上で純粋科学は終焉を迎えようとしている、とした。進化、自然選択、DNA、ビッグバン、相対論、量子論といったものほど大きいインパクトを持つ発見は、今後科学によってなされることは無いだろう、とした。これから科学は、より洗練され、拡張され、応用範囲を広げていくだろうが、もはや大きい発見というのはないだろうとした。 1999年、物理学者フィリップ・アンダーソンは、ホーガンの主張を次のように批判した。「ホーガンの悲観論が間違っている理由は科学の性質それ自体の中にある。問いが答えを得たなら、いつでも科学者は更に進んで新たな種類の問いを投げかける、これは終わりなき問いの提供と思える」 とした。他にも多くの科学者が、ホーガンの主張を批判している。『ニューヨーク・タイムズ』のレビューでは『科学の終焉』を「知的に聡明であり、包括的に書かれ、しばしば素晴らしく、時に弱い者いじめである(intellectually bracing, sweepingly reported, often brilliant and sometimes bullying.)」と評した
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