「評定所存寄書」の信憑性
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「仙石久尚」の記事における「「評定所存寄書」の信憑性」の解説
評定所において、久尚はじめほとんどの参加者が浅野(赤穂藩浪人衆)寄りであったため、12月23日に老中へ提出された評定所の最終的意見書は「吉良義周は切腹、吉良家の家臣で戦わなかった者は侍ではないので全員斬罪、吉良の実子上杉綱憲は父の危機に何もしなかったため領地召し上げ。浅野遺臣たちは真の忠義の者たちであるので、このままお預かりにしておいて最終的には赦免するべき」という浅野方に贔屓な内容となったとする説がある。これをまとめたのが「評定所存寄書」で芝居や大河ドラマにも出てくる。 しかし、宮澤誠一は、この「評定所存寄書」は、後世の創作であるとしている。討入り後、幕閣のほうから畠山義寧を派遣して上杉氏の出兵を阻止した事実と齟齬するだけでなく、吉良邸の討入りを主君の仇討ちと認めず、浪士全員を切腹に処した幕府の裁定とのギャップが大きい。評定所の内部に意見の対立があったにせよ、最終的にこうした結論に達したとは考えにくく浪士の処刑に同情した後人の作である可能性が強い。東京大学名誉教授の尾藤正英、山本博文らも同じく「偽書」であるとしている。 また久尚は、赤穂義士の扱いにつき水野忠之と松平定直からの問い合わせに対し、厳しい対応をとるよう指示した記録が両家に残っており、義士に同情的な「評定所存寄書」とは正反対である。
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