「蘭学にて大施主」とは? わかりやすく解説

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「蘭学にて大施主」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:13 UTC 版)

渡辺崋山」の記事における「「蘭学にて大施主」」の解説

また、紀州藩儒官遠藤勝助が設立した尚歯会参加し高野長英などと飢饉対策について話し合った。この成果として長英ジャガイモ馬鈴薯)ソバ(早ソバ)を飢饉対策提案した救荒二物考』を上梓するが、絵心のある崋山がその挿絵担当している。その後この学問会は天保8年1837年)のモリソン号事件とともにさらに広がり見せ蘭学者長英小関三英幡崎鼎幕臣川路聖謨羽倉簡堂江川英龍太郎左衛門)などが加わり海防問題などまで深く議論するようになった。特に江川崋山深く師事するようになり、幕府海防政策などへの助言受けている。こうした崋山の姿を、この会合顔を出したこともある藤田東湖は、「蘭学にて大施主」と呼んでいる。崋山自身蘭学者ではないものの、時の蘭学者たちの指導者存在であるとみなして呼び名である。 これに対して、幡崎・川路羽倉江川尚歯会参加しておらず、崋山川路江川個人的に親交持っていただけだったとの指摘がある。崋山長英三英内心では鎖国撤廃望んでいたが、崋山幕府鎖国政策反対する危険性考えて海防論者を装っていた。江川崋山評判通り海防論者と思い接近したが、崋山はそれを利用して逆に江川海防論誤り啓蒙ようとしていた。開国を望む崋山頑迷な海防論者の江川同床異夢の関係であったとしている。

※この「「蘭学にて大施主」」の解説は、「渡辺崋山」の解説の一部です。
「「蘭学にて大施主」」を含む「渡辺崋山」の記事については、「渡辺崋山」の概要を参照ください。

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