「社会」という訳語ができるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:45 UTC 版)
「社会」の記事における「「社会」という訳語ができるまで」の解説
19世紀半ばまでの日本語には「社会」という概念はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。「社會」とは中国の古語で農耕地の守護神中心の会合を意味して、北宋時代の近思録に「郷民為社会(郷民社会を為す)」とあり、それを英語のsocietyの日本語訳に当てた。青地林宗が1826年(文政9年)に訳した『輿地誌略』に「社會」ということばが、教団・会派の意味で使用されている。古賀増の1855年(安政2年) - 1866年(慶応2年)の『度日閑言』にも「社會」ということばが使用された。明治時代になると西周が1874年(明治7年)に『明六雑誌』第2号の「非學者職分論」で「社會」という言葉を使い、森有禮の論文「Education in Japan」の日本語訳(一部が「日本教育策」として知られるこの訳が世に出たのは1928年で当時の人びとには知られておらず、おそらく語の普及に貢献していない)と森自身が日本語で書いた1875年(明治8年)の『明六雑誌』第30号の論説にも、福地源一郎の1875年(明治8年)1月14日付『東京日日新聞』の社説にも「社會」という用語が使われこちらは「ソサイデー」のルビが振られている。
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