「磐城誌料歳時民俗記」に見るじゃんがら念仏踊り
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大須賀筠軒著「磐城誌料歳時民俗記」(1892年)には、「ぢやんがら念仏トハ、即念仏躍ニテ、男女環列、鉦ヲ敲キ、皷ヲ撃ツ...」「仏名ヲ称ヘ、太鼓ヲ打、男女打群レ、夜ヲ侵シテ遊行シ、中ニハ如何ノ醜態有之哉ノ由」とあり、明治時代以前には女性も参加していた事、また、新盆供養の仏事としてのみならず、享楽的な行事としての側面があったことが窺える。更に「男ニシテ女粧スル者アリ。女ニシテ男粧スル者アリ。或ハ裸体ニシテ犢鼻褌ヲ尾垂シ、其端ヲ後者ノ犢鼻ニ結ヒ、後者モ亦端ヲ尾垂スルアリ。或ハ菰莚ヲ鎧トシ、蓮葉ヲ兜トシ、箒、檑木等ヲ以テ大小刀トシ、仮面ヲ蒙リ、武者ニ扮スル者アリ。務テ新ヲ競ヒ、笑ヲ釣ル。其醜態、目スルニ忍ビザルモノアリ。」とも書かれており、現在のじゃんがら念仏踊りからは想像もつかないほど享楽的なものだったとされている。 その享楽的側面が災いして、1873年には風紀上の理由から「県治以来、其弊害アルヲ察シ」禁止命令まで出されたという。なお、1671年にも磐城平藩主内藤義泰により「大勢を催し美麗を尽くした念仏おとり」を禁じる布告が出されており、じゃんがら念仏踊りが17世紀には成立していた根拠の一つとされている。 2008年12月14日、平菅波青年会、平菅波渦型じゃんがらの会らの有志が、「渦型じゃんがら」と称して江戸時代のじゃんがら念仏踊りを想像復元する試みを、福島県立磐城高等学校で行った。
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