「町おこし」と華丸の顕彰碑建立まで
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「華丸 (犬)」の記事における「「町おこし」と華丸の顕彰碑建立まで」の解説
小佐々のもとに、華丸の墓を大村市の「町おこし」に役立てることができないかという相談が持ち込まれたのは、2012年(平成24年)夏のことであった。この話を小佐々に持ち込んできたのは、大村市の獣医師会員有志であった。小佐々は先祖が幕末まで暮らした地であることや、小佐々氏の一族を研究するために大村市の郷土史会である「大村史談会」で理事や名誉会員などを務めるなどゆかりが深く、当時の大村市長松本崇とも親しかったことなどから協力を決めた。 ただし、本経寺の境内のほとんどが国の史跡であるため、単に「義犬華丸」の墓を宣伝するだけでは史跡の管理に関する問題が出てくる恐れがあった。小佐々はこの問題を憂慮し、本経寺側と対策を話し合うことにした。2013年(平成25年)5月、長崎で小佐々氏会が開催された。その帰路に小佐々を含めた会の有志などが本経寺を訪問し、大村氏の古墓所にある前親と華丸の墓前で供養祭を執り行った。その際に開かれた昼食会の席で、「義犬華丸」による町おこしへの対応が協議された。この会合で本経寺の住職佐古亮景の提案によって寺の本堂前広場に華丸の顕彰碑を造り、観光客にはこの顕彰碑を参拝してもらうことに決まった。 しかし本堂前広場も国の史跡であることから、大村市教育委員会文化振興課を経由して本経寺側が文化庁に史跡の一部変更申請をするなどの煩雑な手続きが必要なことが判明した。そのため佐古は本経寺役員会と協議の上で、本堂前広場の古墓所入り口に近い藤棚の下を建設予定地に決めた。その後は文化振興課が協力して申請作業が進んだ。 2014年(平成26年)6月に東京で行われた小佐々氏会総会で、翌2015年(平成27年)6月に前親と華丸の365回忌を執り行うことが決まった。それに合わせて会の寄付により、「義犬華丸の顕彰墓碑」と「華丸石像」を本経寺が決めた場所に造ることが承認された。 2015年(平成27年)1月16日に文化庁から許可が下り、「義犬華丸」の顕彰事業が本格的に始動した。実行委員会の設立に続き、数回の会合を経て同年6月20日に記念式典の前夜祭が長崎インターナショナルホテルで開かれた。翌21日に本経寺の古墓所にて前親と華丸の365回忌法要が執り行われた。法要の終了後、義犬華丸の顕彰墓碑と華丸の石像の落成式典などが行われ、参列者に披露された。
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