「松本サリン事件に関する一考察」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 03:03 UTC 版)
「松本サリン事件」の記事における「「松本サリン事件に関する一考察」」の解説
事件後に、マスコミを中心に配布された怪文書。警察やマスコミなど各所に送りつけられた。 「一考察」では、宮崎県資産家拉致事件の被害者が教団に監禁されていたとき「教団が毒ガス攻撃を受けているから外出は許可できない」と言われたことを教団と毒ガスの接点として紹介。そして当時聞きなれない言葉であった「サリン」の解説、亀戸異臭事件などに触れ、オウムがサリン製造ないし入手能力を有することと、河野の無罪を主張している。サリン噴霧の方法についてはドライアイスと有機溶剤を利用した時限爆弾方式ではないかと推測した。後述のサリン残留物発見スクープ後の「追伸」では、もし地下鉄や東京ドームなどでサリンが撒かれた場合大惨事になりうると警告していた。この警告は後に地下鉄サリン事件として現実のものとなった。 作者は「HtoH&T.K」と名乗り、後の怪文書で河野義行が可哀想だったから書いたと語る。「1994年9月某日」となっているが岩上安身によるとその時期に流通していたという証言は無く、流通開始は1994年12月前後ではと推測している。滝本太郎は11月頃に出回ったとしている。また、直接入手したのは週刊文春、TBS、テレビ朝日程度であった。(1989年にサンデー毎日の特集記事でオウムバッシングを最初に始めた)毎日新聞社は送られて来なかったことを明言している。宮崎県資産家拉致事件を担当していた宮崎県警は、この怪文書でオウムのサリン疑惑を知った。時期はよく覚えていないが1994秋だという。 『松本ケース』が何らかの実験的要素を持っていたことは、否定できない。『解放された空間・オープンスペース』での『結果』が、7人死亡、重軽傷者、200名以上。もし、これが、『閉ざされた空間・クローズドスペース』たとえば、満員の地下鉄や巨人戦の行われている東京ドームなどで、サリンが放出されれば、その結果が目を覆うばかりの惨状となることは、容易に想像が付く。 — 『追伸』
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