「松島図屏風」と呼ばれるようになった経緯とは? わかりやすく解説

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「松島図屏風」と呼ばれるようになった経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 22:28 UTC 版)

松島図屏風」の記事における「「松島図屏風」と呼ばれるようになった経緯」の解説

上述のとおり、宗達の画は本来「荒磯屏風」と呼ばれており、「松島図屏風」ではなかった。「松島図屏風」と呼ばれるようになったのは酒井抱一影響である。 抱一は、光琳私淑し光琳の画を広く世に知らしめた人物であるが、宗達光琳の関係については詳しくなく、現在では有名な宗達風神雷神図存在知らなかったと言われている。そのため、光琳模写した画を勘違いしたか、あるいは「と島の図」ということからか、「松島図屏風」と呼んだといわれる。これで光琳の画については「松島図屏風」の名が定着したが、さらにその手本である宗達の画もいつの間にか「松島図屏風」と呼ばれるようになった、と考えられている。 抱一は「松島図屏風」にはあまり関心を示さなかったと見られ風神雷神図行ったような、光琳の画の模写行っていない。これは「松島図屏風」を「松島の画」と勘違いし画題面白みがない、と感じたため、という説がある。

※この「「松島図屏風」と呼ばれるようになった経緯」の解説は、「松島図屏風」の解説の一部です。
「「松島図屏風」と呼ばれるようになった経緯」を含む「松島図屏風」の記事については、「松島図屏風」の概要を参照ください。

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