「松坂世代」と呼ばれることへの反発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 08:00 UTC 版)
「松坂世代」の記事における「「松坂世代」と呼ばれることへの反発」の解説
この言葉で一括りにされることについて当事者となる各選手の受け止め方はまちまちである。和田毅は高校時代の自分は「その他大勢」の扱いだったとし、大学2年になって「松坂世代」の一人として報じられるようになったことが嬉しかったと述べる。拒否した例で著名なものとして、読売ジャイアンツは「我がチームの松坂世代該当選手は80's(エイティーズ)と呼んでください」と発表した。久保田智之は「松坂だけでなりたっているみたいじゃないですか。同い年ってだけで繋がりはないし」と、露骨に不快感を示している。新垣渚は「いつか新垣世代と言わせてみせる」と発言しており、「松坂世代」とひとくくりにされることを嫌う選手も多数いる。 しかし、反発していた選手たちも、自らが競技から身を引いた後は姿勢を変化させ、久保田は引退してスカウトに転身した際、中日のキャンプに参加した松坂を見て「僕は引退後も『松坂世代』と呼ばれる。彼は僕にとってもヒーロー。復活してほしい」というコメントを残し、新垣も引退後先の発言について、「神宮でダイスケと対戦して、初めて目標ができた感じがします」「(高校野球生活)最後の冬の厳しさを乗り越えるモチベーションにダイスケの存在があったとも思います」と振り返るほどの松坂へのライバル意識から出た言葉であるとし、「今では何言ってんだと思う。新垣世代とか言われたくない。そんなプレッシャーから逃げたいし」と語っている。 横浜ベイスターズでは、高校時代のチームメイトであった小池正晃の名を冠して「小池世代」と呼ばれることもあった。和田はあえて他の名前で呼ぶなら「吉本世代」だと吉本亮の名を挙げ、それに対し新垣も「松坂世代のまとめ役は吉本。みんな言うこと聞く」と述べた。
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