「村筋」の猪垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 03:07 UTC 版)
「村筋」の猪垣は高さ1メートル・幅70センチメートル程度。石材は付近から調達されたと考えられており、花崗岩や安山岩など岩質が異なる。「猪堀数間道筋万覚控帳」に記される一連の地名のうち、「寺後」は常雲寺跡地の石垣に相当するとされる。「猿岩」は不明であるが、日向沢と弓道の通過する谷間に花崗岩の巨石が露出した箇所が見られ、いずれかの岩に相当すると考えられている。 石垣は現在の車道により一部切断され、集落西側の畑地を通過し、これが「西尾根」に相当し、「大神(だいじんさん)」と呼称される宝暦10年(1760年)の年記を有する石祠が残されている。西尾根から北東へ進むと一部土手の部分があり、再び猪垣が出現すると文政13年(1830年)の年記をもつ「金毘羅様」と呼称される石祠があり、この付近が「御幸場」に相当すると考えられている。さらに東へ進むと「芋穴尾根」に相当する高所があり、この付近では明治初期から明治20年代の染付の磁器類が表面採取されている。芋穴尾根を過ぎると猪垣は下り「上野山」の斜面を横切ると終点の「仲谷河原」へ至る。
※この「「村筋」の猪垣」の解説は、「竹日向町」の解説の一部です。
「「村筋」の猪垣」を含む「竹日向町」の記事については、「竹日向町」の概要を参照ください。
- 「村筋」の猪垣のページへのリンク