竹日向町の猪垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 03:07 UTC 版)
山梨県内では竹日向町のほか、富士北麓地域に属する南都留郡忍野村内野や同郡富士河口湖町本栖で現存する猪垣が存在している。竹日向町に存在する猪垣に関して近世期の文献史料では、竹日向区有文書に含まれる文化6年(1809年)の「猪囲議定書の事」、同年の「猪堀数間道筋万覚控帳」、文化7年(1810年)の「猪堀見廻義定の事」(『甲府市史 史料編 第5巻 近世Ⅳ』)の三点の史料が知られる。文献史料においては甲斐国の猪垣は柵形式と石積み形式があることが知られ、遺構としては2005年時点で石積み形式のみが知られる。竹日向町の猪垣は「村筋」と「中峠筋」の猪垣がある。 「猪堀数間道筋万覚控帳」によれば、「村筋」の石垣は日向沢を天然の堀とし、常雲寺跡地の石垣(「寺後」)を起点に左回りで「猿岩」「中尾根」「御幸場」「芋穴尾根」「上野山」を経由して「仲谷河原」に至る。集落北側から西側の畑地を囲む猪垣で、新津健ははじめこれを「仲谷河原筋」の猪垣としていたが、「猪堀数間道筋万覚控帳」に「中峠筋」に対して「村」とあることから、「村筋」の猪垣と修正している。
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