「徳礼を本に為し、刑罰を用立てに為す」
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「中華法系」の記事における「「徳礼を本に為し、刑罰を用立てに為す」」の解説
三国、両晋、南北朝は王朝の交代が頻繁に行われ、各地で政権が林立する分裂と割拠の時代だった。この数百年にも及ぶ長い期間において、各王朝または国家は法律制定や法制の建設の面でさまざまな模索をしていた。例えば、西晋は史上初めて礼の内容を法律の条文として『晋律』に書きこみ、『北斉律』が新しい法律体系を作ったことなどは後世の法制に大きな影響を与えたものである。隋・唐代になって、中国は再び統一を実現した。特に唐王朝は300年以上続いた長期王朝で、大掛かりな法整備作業を行っていた。唐太宗李世民など唐初期の為政者は、隋王朝が建国後間もなく滅亡した教訓に鑑み、西周時代の「明徳慎罰」、後漢時代の「徳主刑輔」の法思想を参考に、「徳礼為政教之本、刑罰為政教之用」(道徳礼儀は政治教化の本とし、刑罰は政治教化の用立てとする)の法思想を提起した。また、この思想の指導をもとに、「立法寛簡、慎獄恤刑」の法制原則が打ち出された。その意味は以下のように説明される。第一に、刑名、刑期、法律の適用に関する原則、基準および具体的な内容について、立法は緩やかで、刑の適用は適切でなければならない。第二に、法律や法規の制定にあたり、法の条を簡潔化させ、分かりやすく書かなければならない。第三に、法律の条文から厳しい条項を排し、法を執行する時に、厳格に法に従い、有罪者に無罪を言い渡したり、無罪者に有罪を言い渡したりすることなく、刑罰の適用を慎重にしなければならない。
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