「徳阿弥親氏」銘板碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:10 UTC 版)
「称名寺 (東京都府中市)」の記事における「「徳阿弥親氏」銘板碑」の解説
享和1(1801)年境内の竹林から徳川将軍家の先祖をさす「世良田徳阿弥親氏、応永一四年四月廿日」銘の板碑が発見されたが、「応永十四年」を「応永一四年」と記載することは中世にはありえないことであるという。島津氏によって自らの先祖と主張する源頼朝の鎌倉の墳墓が整備されたり、毛利氏によって大江広元らの先祖の墓が整備された19世紀初頭頃の状況と酷似しており単なる贋作と言われている(現在は非公開)。
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