「天皇」表記の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:38 UTC 版)
「大王 (ヤマト王権)」の記事における「「天皇」表記の成立」の解説
「天皇」の表記については、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来するとする説が広く知られている。 天皇表記の成立時期は、初出とされる『日本書紀』にある推古紀16年9月の条の「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す。」 であるとする従来の通説、そのほか天寿国繡帳の「斯帰斯麻宮治天下天皇」(欽明)があり、そして『懐風藻』序文で持統天皇以後についてのみ天皇表記が用いられていること を根拠に、皇后の表記とともに飛鳥浄御原令において規定され、使用されるようになったという2通りの説がある。近年では後者が有力とされる。 君主の公的な表記としての「天皇」の採用は、天武朝であった可能性が高いとされる。唐の高宗が674年に「皇帝」を「天皇」と改称したのにならい、天武天皇も天皇表記を採用したのではないかと推測されている。「天皇(大帝)」は中国古代の宇宙の最高神天帝の名で、道教思想と深い関わりを持つ が、天武の施政には道教的色彩が認められ、天武が天皇表記を用い始めたとする説を補強している。 飛鳥京跡から「大津皇」「津皇」「皇子」などの文字の見える木簡の削り屑が出土している。これらは天武の子大津皇子を指すと解釈されており、同時出土の他の木簡から天武10年(681年)のものと考えられている。天武10年に皇子表記が使用されていることは、それ以前に天皇表記が用いられていることの証左だと考えられている。 なお、「天皇」という表記の訓みは“スメラミコト”“スメロキ”が当てられている。“スメル”については「統べる」の転訛と見る説があったが、上代特殊仮名遣からこれは否定されて現在も判然としていない。万葉集には「天皇」の表記が12例知られ、このうち7例が“オオキミ”、5例が“スメロキ”と訓ませている。それぞれの文意の比較から“オオキミ”は当代の天皇、“スメロキ”は過去の歴代天皇や皇祖神 に対して用いられていることがわかっている。
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