「天王山」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 09:24 UTC 版)
山崎の戦いは、天王山の占拠が勝敗を決めたとされ、『太閤記』や『川角太閤記』に書かれていることで、『竹森家記』ではこの説を過剰に主張し、黒田孝高が天王山を早く占拠した方が勝利を得るに相違ないと主張したとか、『永源師檀紀年録』には細川忠興が天王山の西の尾崎を占領したとか、戦闘に参加していない人名までも書かれている。この天王山の争奪戦は良質な史料では全く確認できないものである。つまり天王山の争奪戦が勝敗を決めたというのは作り話であって、事実ではない。天王山での戦闘があったことが具体的に記された一次資料は確認されず、かつて広く使われた「天王山の戦い」は現在では「山崎の戦い(山崎合戦)」と呼ばれるようになっている。
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