「善きナチス」と実像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)
「アルベルト・シュペーア」の記事における「「善きナチス」と実像」の解説
シュペーアはニュルンベルク裁判の被告の中で唯一人、自己の戦争犯罪を認めた。また、釈放された後も積極的にマスコミ等でドイツの犯罪を批判し続けた。しかしその一方でユダヤ人虐殺については知らなかったとしたが、「知ろうとすれば知ることはできたであろう」(Wenn man hätte wissen wollen, hätte man wissen können)と表現している。シュペーアは自らを「非政治的なテクノクラート」であると表現し、「善きナチス」であるというイメージを広めていた。またシュペーアに直接インタビューしたヨアヒム・フェストのような歴史家も、シュペーアの言動から影響を受けている。こうした「善きナチス」シュペーアの物語は、ドイツ国民に広く受け入れられていた。 しかしシュペーアが友人ルドルフ・ヴォルタース(ドイツ語版)に宛てた手紙とヴォルタースの日記(Chronik文書)と戦後、彼がマスメディアに向かって発信した言葉を比較検討した場合、戦前と戦後では明らかな違いがある。また、アウシュヴィッツ強制収容所の拡張計画設計においては詳細な内容(死体置き場の数、死体焼却所の数等、それら建設に伴う積算書)を記した計画設計書に、彼の部下が現地調査を実施し、その報告を元に、拡張計画書と設計図に彼が目を通し、それに許可を与えたことが判明しており、その施設の目的も承知していたと見られている。 シュペーアの言論やそれに影響された研究に対する批判は1980年代から起こっていたが、2005年にはドイツでドラマ『ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア(英語版)』が公開され、シュペーアを批判的に見る研究も2010年代から多くなった。2017年には戦後におけるシュペーアの言動と、それを受け入れたドイツ人について展示する「連邦共和国のアルベルト・シュペーア」という企画展が全国党大会広場文書センター(英語版)で開催されている。
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