「十和田火山」の噴火史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 13:44 UTC 版)
十和田湖は火山の山頂部に水がたまったカルデラ湖である。中世以降は噴火の記録がないものの、「十和田火山」として防災行政の監視対象になっている。大規模な噴火が将来起きた場合、火砕流が岩手県北西部を含む最大30km圏内に到達し、火山灰や噴石はさらに広範囲に被害を与えるとのハザードマップが公表されている。 先十和田火山の活動が約160万年前~60万年前以前に見られる。約40万年の活動空白期を挟んで、十和田火山が約22万年前から活動を開始した。その活動ステージは22万年前~6.1万年前の先カルデラ期、6.1万年前~1.55万年前のカルデラ形成期、1.55万年前~現在の後カルデラ期に分けられる。 22万年前から6.1万年前の先カルデラ期は、安山岩の溶岩流や軽石・スコリアを噴出した。 約10万年前からマグマの噴出量が増加し、約6.1万年前の噴火エピソードQ(奥瀬火砕流, 4.76 DRE km3以上)から低頻度で、流紋岩の大規模な火砕流を伴うカルデラ形成期となった。この活動期のうち、約3.6万年前の噴火エピソードNと(大不動火砕流, 17.87 DRE km3)、約1.55万年前の噴火エピソードL(八戸火砕流, 20.34 DRE km3)は特に規模の大きな噴火で、大不動火砕流や八戸火砕流は現在の青森市街まで到達している。 噴火エピソードLから現在は後カルデラ期と定義されている。この後カルデラ期では、カルデラ形成期と比べると噴火の発生が高頻度で、1イベントの噴出量が数km3DRE以下の活動となっており、デイサイトのプリニー式噴火・溶岩ドーム形成が主となっている。 約1万年前に十和田カルデラの東南部で噴火によってカルデラ内部に五色岩(または五色台)火山が形成された。五色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長させた。その後、安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出するようになった。それに伴い爆発的噴火が多発し火口を拡大していった。そして、約6,200年前の噴火エピソードC(中掫軽石, 2.52 DRE km3)で火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に流入した。これにより中湖ができたと考えられている。
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