「ビゴの店」を開店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/29 07:56 UTC 版)
「フィリップ・ビゴ」の記事における「「ビゴの店」を開店」の解説
1972年頃、ビゴはドンクからの独立を考えるようになった。ドンクの店舗がない鎌倉での開業を考えたが、それをドンク社長の藤井幸男に伝えたところ、藤井は兵庫県芦屋市松ノ内町にあったドンク芦屋店をビゴに譲渡し、「芦屋にはドンクの店を出さない」と約束した。同年2月に「ビゴの店」がオープン。売り上げは順調に伸び、同年11月に芦屋市清水町に2号店、1979年に大丸芦屋店、1977年には芦屋市岩園にカフェ・レストラン付きの店舗がオープンした。1980年代にはドンクとの共同出資により三宮と銀座に「ドゥース・フランス」を出店した。 1980年代後半にバブル景気が到来すると拡大路線に走り、日本国内の店舗数は16を超えた。パリにも進出し、パン屋と老舗パティスリーの「メゾン・ラグノー」を買収した。しかしパリの店舗は月に数百万円の赤字を出し、日本国内にも収益の上がらない店舗が出るようになった。1980年代後半以降、ビゴはこれらの店舗を手放し、経営を縮小させていったものの拡大路線をとったことによる負債は容易には解消できず、自転車操業に追い込まれ、業界では倒産は時間の問題と噂されるようになった。1990年には食品メーカーからビゴのブランドと店舗を9億円で買いたいという申し出があり、その2年前に心筋梗塞の手術をしていたビゴは負債を一気に返済し老後の蓄えもできるという理由から承諾しようとしたものの、従業員の反対に遭い断念している。 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では店舗が深刻な被害を受け、三宮の「ドゥース・フランス」など複数の店舗を手放し、従業員が半減した。しかしそのことによって経費が削減され、政府系金融機関から無利子の融資を受けることができたこともあって経営状態は改善した。これについてビゴは、「皮肉なもの」と述べている。
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