「カセット」の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 00:52 UTC 版)
「ビデオカセッティ・ロック」の記事における「「カセット」の由来」の解説
「ゲームのROMを格納した装置」のことを、英語では「カートリッジ」と呼ぶが、日本では「カセット」と呼ぶ。ゲーム用カートリッジを指す「カセット」の語は、日本初のカセット交換式ゲーム機であるビデオカセッティ・ロックの広告「TVゲームはカセット時代」が初出である。 GIMINIシステムはGIの1977年度版のカタログで、「CASSETTE PROGRAMMABLE TV GAMES」として記載されている。文字通り、主にカセットテープでのソフトウェア供給が想定されていたらしい。しかし1978年度版のGIMINIシステムではカートリッジベースの「PROGRAMMABLE TV GAMES」へと改められており、カセットテープインターフェイスはGIMINIシステムの最上位版「GIMINI 8900」でのオプション扱いとなった。「GIMINI 8900」システムを採用したインテレビジョンには、実際にカセットテープメディアに対応した拡張ハードウェア「Entertainment Computer System」が存在する。 一方、「CASSETTE」どころか「PROGRAMMABLE」ですらないLSI式の「GIMINI 8600」システムを日本で最初に採用したタカトクは、1977年度版GIMINIシステムの「カセット」と1978年度版GIMINIシステムの「カートリッジ」を混同したようで、1978年度版GIMINIシステムのカートリッジベースのゲーム機に「ビデオカセッティ」と命名して「TVゲームはカセット時代」などと大きく宣伝してしまった。さらに他社のハードも、同じくGIのGIMINI 8600システムを採用した「カセット方式でゲームとりかえ自由」がキャッチコピーのバンダイ・TV JACK アドオン5000(1978年)、LSIカートリッジ式のゲーム機を自力で開発した「カセット時代のテレビゲーム」がキャッチコピーのエポック社・カセットビジョン(1981年)、ROMカートリッジ方式を採用した「ジャンケンポン、カセットポン」がキャッチコピーのNEC PC-6001(1981年)などと、そのまま追随した。 これらの機種はせいぜい数十万台しか売れなかったが、広告や雑誌の特集などを通じて「カセット」の語は広まっていた。その後、「カセットを挿入すると、カラー52色のあざやかな画像」がキャッチコピーの任天堂・ファミリーコンピュータ(1983年)が2000万台売れ、そのまま「カセット」の語が定着した。これが「ゲーム用カートリッジ」を日本語で「カセット」と呼ぶ由来である。
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