「はぐらかし」の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:04 UTC 版)
小関和弘は、『浅草紅団』を「浅草全図といった一枚の地図に似ている」とし、各節を「直線的」に読み進んでゆく読者が「迷路」に引き入れられてしまうのは、主題的な「話題の外らし」の理由だけでなく、作品内の時間が前後したり、別の次元の伝説の話が入ったり、同時進行の事柄が別の節に分散されたりと錯綜する構造にあることを指摘している。 小関は、「それは〈地図〉的空間に配置された各々の人間、各々の事物が、おのおの固有の時間的蓄積―意味の厚みをもっていることの表現と言ってよい」と解説し、その「地図」には、直線的な時間ではなく、アナログ的な「意味の厚みとしての時間の層」が被せられ、その「入り組んだ構造」は、「それ自体で、読者が漠然と描いていた〈小説像〉に対する批評となっている」と論じている。 前田愛は、『浅草紅団』のこういった、読者をはぐらかすような「万華鏡ふうの幻影を織りなしている仕掛け」の構造について、「物語の関節を意識的に外してしまう語りの曖昧さ」と呼び、「ジャズのシンコペイションやカジノ・フォーリーの舞台で演じられたヴァラエティの場面転換をとりいれた斬新な手法」としている。また、紅団員の4人の男が指令に従い、花川戸ビルディングの屋上から望遠鏡で「紅丸」船の弓子を監視する場面の原型は、十二階から遠目鏡で押絵の人形を覗く、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』だと考えられるとしている。
※この「「はぐらかし」の構造」の解説は、「浅草紅団」の解説の一部です。
「「はぐらかし」の構造」を含む「浅草紅団」の記事については、「浅草紅団」の概要を参照ください。
- 「はぐらかし」の構造のページへのリンク