"バンク・ホリデー"と緊急銀行救済法
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「アメリカ合衆国の歴史 (1918-1945)」の記事における「"バンク・ホリデー"と緊急銀行救済法」の解説
ルーズベルトが大統領に就任してから2日後の1933年3月6日、連邦議会特別会期が招集されるまでの4日間はアメリカの全ての銀行を閉鎖すると発表した。通常ならばこのような行動は広い範囲に恐慌を来させるものだった。しかし、この行動は国全体に安心感をもたらした。第一に多くの州は3月6日以前に既に銀行を閉鎖させていた。第二にルーズベルトは抜け目なくまた婉曲的にこれを「バンク・ホリデー」と表現した。第三にこの行動で連邦政府は銀行破綻に繋がるパターンを止めさせる行動に移ったことを示していた。 その3日後にルーズベルト大統領は議会に緊急銀行救済法を提案した。これは元来保守的な法であり、大部分はフーヴァー政権から引き継いだ者達によって起草され、大銀行がより小さな銀行の破綻で引き摺られることを防止することを主眼にしていた。この法でアメリカ合衆国財務省が全ての銀行を再開させる前に監査を行うこと、不安定な大銀行を連邦政府が支援すること、および危機的状況にあった銀行を再編することを可能にした。混乱しており驚愕していた連邦議会は、提案から4時間でこの法案を成立させた。連邦準備制度に入る銀行の4分の3はその後3日以内に営業再開し、保管されていた10億ドルの通貨と金が1ヶ月以内に市場に流通し始めた。差し当たりの銀行危機は去った。グラス・スティーガル法は世界恐慌が再度起こらないようにする様々な規定を設けた。これには銀行を投資銀行と貯蓄貸付銀行に分離すること、頭金無しで株式を購入することを禁止することが含まれていた。ルーズベルトはアメリカ合衆国の通貨を金本位制から離脱させもした。それは通貨供給量を抑えデフレを生むと広く非難される対象だった。ただし、銀本位制は1971年まで残った。金塊とその保証書を私有することが禁じられ、これは1975年まで続いた。
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