"エベッツ・フィールドの首なし騎手"
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「ベーブ・ハーマン」の記事における「"エベッツ・フィールドの首なし騎手"」の解説
打撃面で様々な活躍をしたハーマンだったが、守備や走塁面では考えられないようなボーンヘッドがいくつもあり、チームメイトだったダジー・ヴァンスが、「エベッツ・フィールドの首なし騎手」("the Headless Horseman of Ebbets Field")とあだ名をつけるほどだった。 1926年8月15日のエベッツ・フィールドでのブレーブスとの試合でのこと、ブルックリンは満塁のチャンスをつかみ、ルーキーだったハーマンはライトに強烈なライナーを放った。しかし、当たりが良すぎて打球がフェンスに跳ね返った後、すぐに内野に帰ってきたために、三塁走者は生還したものの、足の速くなかった二塁のダジー・ヴァンスは本塁へ進むことを一旦躊躇してしまう。ヴァンスは三塁-本塁間に挟まれ三塁に戻ったが、そこには既に一塁にいたチック・フィースターが進塁してきていた。 ところが、そこへ二塁を回った打者のハーマンがすべりこんで来た。ブレーブスの三塁手エディ・テイラーは、三塁ベース上に立っていた三人の走者に次々にタッチし、結局前の走者を追い越す形になったハーマンと、一塁から進んできたフィースターがアウトになった。ハーマンは打った瞬間に「三塁打になる」と思いこみ、前の塁の状況をよく見ていなかったための珍事だった。この試合の後ドジャーズのファンの間では、『ドジャーズが走者を三人出してるぞ!』『おっ、どの塁だ?』というジョークが語られた。 ハーマンの走塁でのボーンヘッドはこれにとどまらず、1930年シーズンには、『1シーズンの間に、2度打者から追い越された』という珍記録を残している。同年5月30日のゲームで、一塁にいたハーマンは、次の打者デル・ビソネットのホームランの打球の行方をじっと見つめたまま、打者ビソネットから追い越されてしまった。同年9月14日にはやはり同じ場面で、ホームランを打った打者グレン・ライトに追い越されている。 1931年9月20日のゲームでは、当時セントルイス・カージナルス監督だったギャビー・ストリートが、選手の怪我のため代役で捕手を勤めていた。当時48歳で、1912年を最後に20年近くゲームに出ていなかったストリートを相手に、ハーマンは盗塁を試みて失敗してしまっている。
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