"エド・マーイカ"
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「エド・マーイカ」の記事における「"エド・マーイカ"」の解説
エドは「マーイカ」という名を名乗るようになった。エドの初のアルバム『Slušaj Mater』(母の言葉を聞け)は2002年の春に発売された。アルバムに収録された同名の曲はボスニア・ヘルツェゴビナをはじめ旧ユーゴスラビア各国でヒット曲となった。そして2003年にはエドは旧ユーゴスラビア諸国で最もヒットしたラッパーとなった。彼はZlatna Koogla、Davorin、Porin、Crni Mačakをはじめとする多くの賞を受賞した。この年彼は多くのシングルをリリースしたほか、他のアーティストの楽曲にもフィーチャリングされた。エドはThe Beat Fleetと共同のツアーを大成功のうちにおさめ、2003年の最後をヒット曲「Prikaze」(スペクトル)で締めくくった。 その直後の2004年4月、エド・マーイカは新アルバム『No Sikiriki』を発表した。エドはLexsauriniと共にチケット予約会社を設立した。エドは2004年の末までツアーを続け、このアルバム『No Sikiriki』のプロモーションを行った。エドは2005年にもコンサートを続けながら、次のアルバムのための曲を製作していた。 通算3枚目のソロ・アルバムとなる『Stig'o Ćumur』(石炭が届いた)の収録曲の録音は2005年の8月から始められた。このアルバムからの最初のシングル「To mora da je ljubav」(これは愛に違いない)はクロアチアのヒップホップ・ユニットElementalのRemiをフィーチャリングし、プロモーション・クリップをサラエヴォで撮影した。彼の通算3枚目のアルバム、『Stig'o Ćumur』は翌2006年の3月にリリースされた。 エド・マーイカの次のアルバムは2008年の3月にリリースされた。発表前に数回にわたって変更されていたアルバムのタイトルは、『Balkansko a naše』となった。収録曲のほとんどはクロアチアのプロデューサ、Kooladeのプロデュースによるものである。
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