セヴェリナとの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 16:34 UTC 版)
「エド・マーイカ」の記事における「セヴェリナとの確執」の解説
エド・マーイカは、クロアチアの女性歌手セヴェリナ・ヴチュコヴィッチとの間に確執を抱えている。2004年の彼のアルバム『No Sikiriki』の収録曲「No Sikiriki」では、エドは「svi znamo repat, svako može Severinu jebat」(みんなどうやってラップするのか知っているし、誰だってセヴェリナをかき回せるんだぜ)と歌っている。この曲では暗にセヴェリナを音楽業界の気取り屋で、虚構の性遍歴を自慢しているのだとしている(セヴェリナはクロアチアきっての人気歌手で、彼女に関する根拠のあいまいな性的な噂は1990年代から後を絶たなかった)。しかし後の、同じ2004年の末にセヴェリナは実際のセックス・スキャンダルに巻き込まれてしまった。セヴェリナは、エド・マーイカのこの曲を彼女に対する侮辱として受け取り、彼女のアルバム『Severgreen』の収録曲の中でこれに応えている。曲の題名は「Hrvatica」(クロアチアの女)で、この曲の中でセヴェリナは「hrvatski reperi dignite hajku, [...] djeca vam slušaju krivu majku」(クロアチアのラッパーたちよ、立ち向かいなさい。あんたたちの子どもは、偽の『母』の声を聞いているのよ。)と歌った(これはエド・マーイカの名前やその初アルバムのタイトルに引っ掛けたものである)。エド・マーイカは、セヴェリナのこの歌詞を自分に対する個人攻撃として受け取り、インタビューの中で「セヴェリナがこんなことを言うのは、クロアチア人である彼女よりもボスニア人のオレのほうがクロアチアで人気があるからだ。」と述べている。 この確執を示唆し、エド・マーカイの3枚目のアルバム『Stig'o Ćumur』の最後の曲の題名が「Severina」(セヴェリナ)というものになっている。しかし、この曲の冒頭でエドは、「Većina ljudi što su za ovaj CD dali love, ne bi čuli ovu stvar da se ona ovako ne zove. Žalosna je okolnost čime privlacim pozornost, ali ovo morate čuti smjesta pa mi nisu bitna sredstva」(このCDを買った奴のほとんどは、こんな曲名にでもしなきゃちゃんと歌詞を聞かないだろうからな。こんな方法をとらなきゃちゃんと聞いてくれないってのは悲しい話だけど、こうすれば中身がどうであれお前ら絶対ちゃんと聞くだろうからな。)と述べている。コーラスは「Severina, Severina da ne mislite da ste prevareni, ova pjesma je u biti o meni. Severina, Severina da nemislite da ste prevareni ova pjesma je u biti o tebi i o meni.」(セヴェリナよセヴェリナ、あんた騙されてないかい? この曲はオレのことについてなんだよ。セヴェリナよセヴェリナ、あんた騙されてないかい? この曲はまさにオレとあんたのことについてなんだよ。)という歌詞であり、曲の内容はバルカン半島の問題に関してのものであった。エド・マーイカは以前のアルバム『No Sikiriki』の収録曲で、ビデオも製作された「Mater Vam Jebem」でもバルカン問題に関して言及しているが、人々はその曲の内容についてあまり関心を払わなかった。そのため、エドはこの曲のタイトルを「セヴェリナ」とすることで、彼が言いたかったバルカン問題に関する主張に関心を向けさせたかったのだ。
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